かげふみ。

なにか、表現をする仕事に就きたいと思ってたんです。
何の因果か実際にそういう職業に就き、毎日働いてます。
でもね、仕事は上から降ってくるもので、
例えば自分がやりたくないものでも、やらなきゃいけない。
さらにいついつまでにやらなくてはいけないという
時間の制限に追われながら、やらなきゃいけない。
そうしたギリギリの状態で自分と対峙するのは
非常に大変なことで、苦痛になってしまう。

今日は超頑張って定時で仕事を終え、
渋谷アピアでの航のライブに行くことができました。
彼女のすごいのは、毎回毎回同じ曲が違う表情を見せるところで、
彼女自身の感情が、本当に音になっている証拠のように思います。
特に今日のライブはとても冷静に演奏していると同時に、
航の魅力であるパッショネートな感覚が
謐々と湧き出ているような感じで、
なんとういか、じっくりと醸成されたような、
初めて「伝えられる」自己表現になっていると感じました。

航を含めて、彼女の周りをとりまくアーティストたちは
みんなそうなんだけど、とにかくものすごい強烈な個性を持っていて、
自己主張の塊のような、とてつもない強さに圧倒されます。
そういう人たちを見ていると、
「ああ、僕はこういうふうにはなれないな」と思ってしまいます。
中心に立って自分を表現していくことの強烈さに
耐えうるだけの力や主体性が、表現欲求についていかないな、と。

でも、今日いろんな人の話を聞いていて気が付いたのは、
そういう自分のイメージが確固としていればしているほど、
ひとりで表現するしかないのだということです。
他人と一緒に音楽を創りあげていくのは、
そういう人たちにとってものすごく困難な作業かもしれない。
個性と個性がぶつかりあって違う何かが生まれるという。
でも、自分の音楽表現が広がる可能性は、
みんなが全部破壊されてしまう可能性と紙一重かもしれない。
表現の濃密さに反比例して、音楽はひとりでやるものになっていく。
1つの映画に監督が2人も3人もいないように、
形あるものに音楽をまとめるために、
それは当然といえば当然のことなのです。

入社したときに上司に言われた言葉を思い出しました。
「我々の仕事は自己表現ではない」という言葉。
なんか、その言葉の意味がわかったような気がしたんです。