言の葉。
言葉というのはたいそういい加減なもので、
例えばある液体のことを
ある言語では水と言ったり湯と言ったりと
温度によって別の単語が割り当てられてたりするのに、
ある言語では熱くても冷たくても
全部waterだったり、
さらにまた別の言語では
温度ではない違う概念で区分されていたりします。
これは要するに
言葉とそれが意味する概念には
全く必然的繋がりはないということで、
それによって言語は無限の意味を獲得できた
と大学生のときに勉強したのですが、
そういう恣意的な言語というものを介してしか
人間はコミュニケーションをとれないわけで、
その点で社会は不正確さのもとに
成り立っていると言えましょう。
なんだかおかしなものだと思ったりします。