小林建樹で絶対音感を考える。

いやはや、今日は東京地方すごい雨でしたねぇ。
この大雨は一体なんだったのかね。別に台風とか来てないよね?
なんか、こういう嵐が来ると妙に興奮してしまう。
しとしと雨は憂鬱になるが、ここまで豪快に降ってくれると
なんだか楽しいではないか。

まぁ、とにかく大雨だったし今日は特に何をするでもなく
ぼけっと過ごしてましたです。
朝起きて、昨日録画した建樹ビデオを早速見てみたんだけど、
なんかいきなり歌の途中でカットされて、
「それでは最後にジュディーアンドマリーの感動のフィナーレを」
とかいって、マジむかつきました。
おい、日テレよ。本気でむかついたぞ。
建樹系BBSではキレたコメントが続々とカキコされてて、
まったく僕も同感です。ううう。くやしい。

それは置いといて、っと。
今日はなぜ僕がこんなに建樹氏にはまってしまったのかを
ちょっと考えてみたいと思いまする。

ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、
僕には絶対音感がある。
しかしこの能力、別に絶対でもなんでもなく、
この世に存在するあらゆる音声が
全てドレミで聞こえるなんてーことではないのです。
よく誤解されるのですが、考えてもみてください。
そもそも音声とは連続的な現象であって、
ドレミというのは、人間が勝手に1オクターブを12等分して作り出した
いわば恣意的なカテゴリーなわけです。
自然界で鳴っている音が、そんなカテゴリーにぴったり
都合よくあてはまるということの方が、むしろ特殊なことなのです。

絶対音感というのは、だからちっとも絶対ではないのです。
ただ、その能力が獲得される過程で自分が触れ(させられ)た和音を
逐一記憶しているに過ぎないのだと思います。
その時に頭の中に固定された和音しか、識別できないんです。
それはつまり、クラシックのピアノ教育で
教本の中に出てくる和音ということとなります。

はやりのJ-POPに出てくるコードというのは、
そうしたクラシックでよく使われる和音とほとんど変わらないのです。
僕は昨日の建樹氏が出てる番組を見て思った。
その番組は、ポカリスエットのCMソングのバンドが集まって
やったライブを放映したものだったんだけど、
たとえばね、ポルノグラフィティとかね、
聞いただけで、全部わかってしまうんです。
ギターが何のコードを弾いてるのか、ベースが何の音を弾いてるのか。